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目の教室(弱視学級)

北九州市立盲学校小学校に入り、周りは自分より見えない子供たちばかりで、井の中の蛙。

父の仕事で東京へ。小学3年の三学期。
弱視教室のある住吉小学校を両親が探してくれて、葛飾区高砂に住むことに。

昭和43年1月から44年45年3月の約2年間、住吉にお世話になる。

下町は優しい街だった。普通学級の担任は川口先生女の先生。

弱視教室の先生は大山陽子先生、遠藤鶴治先生。

今回、その住吉小学校、目の教室が誕生して50周年の会に参加した。

1964年、東京オリンピックの年で、その誕生から3年ほどして自分がお世話になった。

一般学級と弱視教室を行き来して勉強していた。

今は、拡大コピーも簡単、当時はものすごくおおきなコピー機で、先生は自慢げだった。

まだ木造校舎でだるまストーブが楽しかった。
K0010543.JPG

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