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目の教室50周年

住吉小学校。 

だるまストーブの木造校舎は丁度建て替えの頃で新校舎はスチーム暖房。

見覚えのある廊下にハッとする。

就職した年、修善寺に住んでいたので、大山先生が若くして亡くなられたお葬式に、自分は出なかった。母は友達の親と参列した。

引っ越した関係で50周年の連絡は自分の元に届かなかったが友達が教えてくれた。

まあ、あのときのせめてものフォローかな。

今のタブレットやデジタルズームなど、みたら大山先生びっくりするだろう。

たぶん近い将来目のハンディはもっと解決されるだろう。 
目がいい悪いに関わらず、一人ひとり違う、それぞれにいろいろな問題と向き合っているのだから。
そのひとつに過ぎない。


弱視の卒業生徒の中には視力を失った方々もいて、教室への感謝や周りの人達への感謝を話していた。
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目の教室50周年

学校への道。
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目の教室50周年

小学校途中の公園もある。

路地から、小さい頃の自分が駆けて来そうだ。
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目の教室50周年

住んでいた借家はとうにない。その道を通って、突き当たりのお肉屋さんは、建物は代わりまだやっていた。
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目の教室50周年

さっきの写真は昔パン屋だった。
その建物が今も残っていた。
高砂駅から住吉小学校へ向かう途中。

この写真は床屋さん。こちらも建物が残っていた。
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目の教室(弱視学級)

北九州市立盲学校小学校に入り、周りは自分より見えない子供たちばかりで、井の中の蛙。

父の仕事で東京へ。小学3年の三学期。
弱視教室のある住吉小学校を両親が探してくれて、葛飾区高砂に住むことに。

昭和43年1月から44年45年3月の約2年間、住吉にお世話になる。

下町は優しい街だった。普通学級の担任は川口先生女の先生。

弱視教室の先生は大山陽子先生、遠藤鶴治先生。

今回、その住吉小学校、目の教室が誕生して50周年の会に参加した。

1964年、東京オリンピックの年で、その誕生から3年ほどして自分がお世話になった。

一般学級と弱視教室を行き来して勉強していた。

今は、拡大コピーも簡単、当時はものすごくおおきなコピー機で、先生は自慢げだった。

まだ木造校舎でだるまストーブが楽しかった。
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モヤがかかっている

夜中に雨だったのだろう。

朝は、止んでいたので、パールの散歩へ出掛けた。

最近は、中学校の周りを一周。
この頃は、それで丁度いいみたい。
中央公園を一周すると少し疲れてしまうみたいだ。
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